「モアナと伝説の海」について語らせてくれ

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この記事はKyoto University Advent Calendar 2019 15日目の記事です。投稿日が一致していませんが、この記事を書き始めてgit addした日付になるようになっているだけなので気にしないでください

友達に声をかけられたので書きました。でも気づいたら死ぬほど長くなってた(1万字超……)うえに、想定読者が「モアナと伝説の海を見たことがある人」 だけ というニッチすぎる記事に仕上がっていますが、興味がある人はどうぞ。

イントロ

僕は近年のディズニーピクサー映画(シュガーラッシュ以降あたり)が大好きです。 最近はディズニー映画はだいたいすべて見に行っています1

さて、その中でもトップクラスに好きな映画の一つが “Moana”(邦題は「モアナと伝説の海」) です。
僕を知っている人ならご存知の通り、一番好きな映画は「ズートピア」なのですが、「モアナ」もかなり好きです。どれくらい好きかというと、

シュガーラッシュ < アナ雪1 < モアナ < ズートピア

といった具合。なお、これらの作品はいずれも少なくとも5回は見ているので、別にアナ雪が嫌いとかそういうわけではなく、「モアナ」がドストライクだったんですね、はい。

さて、というわけで名作の多い近年のディズニー作品の中でも特に評価が高い(当社比)「モアナ」ですが、どうも世間ではあまり有名ではないようです。アナ雪は大ヒットしたのに、「モアナ」はなんで売れなかったのでしょう?ヒロインの外見が日本人受けしなかったから?それもあるかもしれませんが、僕には別の理由があるように思えるのです。

というわけで(どういうわけだ)、ここで「モアナ」の魅力について語らせてください。そして同好の士が増えてくれると嬉しいです。

ネタバレなしあらすじ

大海原に浮かぶ島 モトゥヌイ の村長の娘として生まれた モアナ は、有能な次期村長としてすくすくと育っていた。しかし、掟で禁じられているサンゴ礁を超えた先の海への憧れがどうしても抑えられず、村を愛する気持ちとの板挟みに悶々としていた。

村にはある伝説があった。半神半人のトリックスター マウイ が、地母神 テ・フィティ の「心」を盗んで以降、生命を根絶やしにする闇が段々と世界に広がっているのだという。

モアナが村長補佐として働きだしてしばらくしてのこと、村の作物が激減してしまう。伝説の闇がついにモトゥヌイにも伸びてきたと知ったモアナは、掟を破り、ひとり大海原へと旅立つ――マウイをテ・フィティのもとへ導き、「心」を返させるために。いま、二人の伝説の冒険が始まろうとしていた……。

ネタバレ注意!

これ以降はアナ雪と「モアナ」のネタバレがあるので注意。これ以降はこれらを見てから読むのを強くオススメします(同好の士を増やしたいとは何だったのか?)。

あと、全体のあらすじは書くのが面倒だしこれ以降の内容とかぶるので、知りたい人はWikipediaでも読んでください。自分も昔編集したのでだいたい合ってると思います。

一応ある程度スペースを開けておきます……

出会い

2017年の春、受験を終えた僕は、友達と映画館に来ていました。二人で見るのに選んだ映画は「モアナ」。本編が始まるやいなや、神話の世界がそのまま映画になったかのような壮大な物語、美麗なCGで描かれた世界2、そして魅力的なキャラクターたちに圧倒されました。

映画が終わり、ほくほくな気持ちになって映画館を出たわけですが、一方でストーリーは大味だなあ、と思っていました。
ディズニーから同じ年3に公開された「ズートピア」は緻密に伏線がストーリーに組み込まれ、不要な伏線すら数え切れないほど散りばめられた様は「病的」とすら評されている4のとは対称的に、「モアナ」では伏線は物語の中で重要なものとしてあまり使われていないように思われます5

しかし、それは全くの誤りでした。「モアナ」もまた、盛んにキーワードを物語の序盤から繰り返して、その言葉の意味がクライマックスで伝わるように工夫されていたのです。
そのことに僕が気づいたのは、「モアナ」の字幕版を見てからのことでした。

アナ雪と「モアナ」の違い

外国の歌の歌詞を日本語に訳すのには、非常に大きな制約がかかります。なにせ、音符の数ぴったり音を使いながら意味を伝えきらないといけないわけですから。

特に、個人的感想ですが、音あたりに伝えられる情報の量において、日本語が英語より劣っているのは間違いないと思います6

さらに、ディズニーの場合、キャラクターのモーションはすでに決まっています。すなわち、口の開き方もある程度は一致させないと口元が不自然になってしまいます。これだけ多くの制約がある以上、すべてを完璧に満たすのはとても難しいです。というか無理7

そのため、制約の中で伝えきれる意味だけに歌詞の内容を絞ることで吹き替えを達成するという手法がしばしば行われています。細かい意味が一致していなくても、大意さえあっていれば、歌以外の部分のスクリプトと、ディズニー自慢の感情を体いっぱいで表現するキャラクターたちが不足した情報を補ってくれます。

これがうまく行っている例はアナ雪でしょう。
たとえば、アナ雪でもっとも生まれやすい疑問は「ラストシーンで、なぜアナの心は溶けたのか(キスで溶けるのではなかったのか?)」でしょうが、この答えはオラフが「真実の愛」について明白に語ってしまっている8ので(暖炉のシーン)、ある程度わかりやすいものとなっています。
そしてオラフがこの答えを明白に語ることができた理由は、アナ雪のクライマックスには歌がないからです。

翻って「モアナ」では、失意のモアナが祖母の助けで復活を遂げるシーンや、ラストバトル、テ・カァとの戦いにすら歌が織り込まれています。これらの歌は、すべてストーリーにマッチした素晴らしいもので9、同時に非常に重要なメッセージをたくさん含んでいます。しかし、吹き替えのときにはそれらの言葉が抜け落ちていて、メッセージを読み取るのが難しくなっています。そして、歌の情報を補完するスクリプトも存在しません。

というわけで、吹き替えと字幕版を両方見て、頑張って考察した制作陣のメッセージをここに書き散らかしたいと思います。

翻訳によって分かりづらくなってしまった、「モアナ」におけるキーワード、それはWayとCallです。

本編前半

モアナは幼い頃から海に強い興味を示します。掟で海に出るのは禁じられているため、大人になるにつれてそれを隠すようになりますが、 海へ出ることができる機会がいつか訪れないかと願い続けています。
当初、モアナを海から遠ざけようとする頑固な父親としてトゥイは描かれます。 しかし、彼は海で友人を喪っており、モアナに同じ目にあってほしくないがゆえの行動であったと後に明かされます。
その話を聞いてもなお、彼女は海への興味を抑えられず、ついには一人でこっそり筏に乗って沖に出ます10

自分がここまで海に惹かれる理由が自分でもわからない彼女は、これを「海が私を呼んでいる (call) 」と表現します。

The line where the sky meets the sea, it calls me
空と海が出会う線が、私を呼んでる

Callというキーワードが再び現れるのはしばらく先のことなので、先にwayの話をします。

その後、タラに導かれ、モアナは祖先の記憶に触れます。そのときに流れる曲のタイトルはそのまんま、“We Know The Way”。

この歌の前半では、航海をしていた祖先たちが、航海の方法について歌っています。

We read the wind and the sky when the sun is high
日が高いときは風と空を読み

We sail the length of the seas on the ocean breeze
海風に乗り海の果てまで駆ける

At night, we name every star
夜には星を道しるべに

Wayは、方法とも道とも訳されます。曲の後半では、進むべき「道」を、生きる「方法」を、そして帰るべき家への「道」を知っている喜びも歌います。

We know where we are, we know who we are
自分たちがどこにいるのか、自分たちは何者なのか知ることができるのだ

When it’s time to find home we know the way
家に戻るときが来ても、帰り道はわかる

「モアナ」のモデルとなったポリネシアの人々にとって、航海術は非常に重要なものでした。この歌の中に描かれたように、水平線を超えて数千キロの旅をしていた彼らにとって、天体の位置から自分の場所を知ることは、迷わないために不可欠だったからです。

Wayというキーワードが次に登場するのは、マウイが「プリンセスには航海なんてできない」とモアナをからかうシーンです。
実は、英語版では、「航海術」は一貫してwayfindingと呼ばれているのです。文字通り「進むべき道を見つける術」というわけですね。

その直後のマウイのセリフをよむと更に関連性が見えてきます。

[Wayfinding is] not just sails and knots, It’s seeing where you are going in your mind. Knowing where you are by knowing where you’ve been.

(航海術ってのは)船を扱うことだけじゃない、 どこに向かうのかを頭で考えることなんだ。 今までいた場所から、今いる場所を知る。

これらを総合して考えると、制作陣がwayfindingにダブルミーニングをかけていることはほぼ明らかでしょう。一つは文字通り「航海術」、そしてもう一つは「自分のルーツや自分自身を知ることを通じて、これから進むべき道を知る」ということです。

さて、モアナはこの旅を通じてマウイにwayfindingを教わるわけですが、この時点ではモアナもマウイも自分のルーツに不安を持っています。

モアナは、海に選ばれた存在であるものの、なぜ自分が選ばれたのか全く見当がついていません。彼女が旅をする理由は、村のみんなを救うためと、祖母のタラに頼まれたからに過ぎず、自分なんかが選ばれてよかったのかという不安を抱えています。

Why did it chose me? I don’t even know how to make it past the reef.
どうして私が選ばれたの?サンゴ礁を越える方法すらわからないのに。

マウイも、その尊大な態度から想像されるほど単純な人間ではありませんでした。彼が人々を助け続けた理由は、自分が必要とされていると信じたかったからという極めて後ろ向きなものであり、その原因は親にひと目見て捨てられたという耐え難い過去です。

このうち、マウイのトラウマについてはモアナの励ましによってある程度解消されるのですが……

本編後半

テ・カァの拳の直撃を喰らい、神の釣り針がひび割れたことにマウイは激怒します。マウイにとって、釣り針は人助けをするために必要な道具だからです。
それと同時に、コンプレックスである自分の姿から変身できる道具であるからというのも残酷ながら事実でしょう11。ここでマウイは「俺には釣り針が必要なんだ!」と怒鳴りますが、原語だとこの叫びはもっと悲痛です。

Without my hook, I am nothing!
この釣り針がなきゃ、俺はゴミ同然なんだ!

モアナは、いつものようにマウイを説得しようとしますが、怒り心頭のマウイは聞く耳を持ちません。
最終的に「私は海に選ばれたの(だから従いなさい)」と言い出しますが、「選び間違いだ」と返され、怯んでしまいます。
彼女自身、なぜ選ばれたのかわかっていないので仕方ないですね。

マウイを失い、テ・フィティの心を海に沈めたモアナは、「海に選ばれた少女」ですらなくなり、自身を特別にしていたものを全て失います。

そうして、失意のどん底にあるモアナのもとにやってきたのは、祖母のタラでした。タラはモアナを慰め、「もう旅はしなくてもいい、村に戻りたいなら一緒に行くよ」と告げます。これで、正真正銘、モアナが旅をするモチベーションはすべて消え去ったわけです。

モトゥヌイの村へ戻ろうとしたモアナは、オールを漕ぎ出そうとしますが、なぜだかそれをやりたくない自分に気が付きます。頭の中が疑問符でいっぱいのモアナに、タラはゆっくりと話し始めます。

Moana, you’ve come so far
モアナ、遠くまで来たね

Moana, listen, do you know who you are?
モアナ、よくお聞き。お前は誰なんだい?

そうして、自分の心に耳を澄ませたモアナは、再び「呼び声(call)」が聞こえていることに気が付きます。

I am everything I’ve learned and more
たくさんのことを学んで、それ以上に成長してきた

Still it calls me.
それでも、まだ呼ばれ続けてる。

なぜ、彼女は海に選ばれたのか。何が、彼女を呼び続けていたのか。
物語を通じて提示されてきた疑問に対し、彼女はついに答えに到達します。

And the call isn’t out there at all, it’s inside me
「呼び声」は外になんてなかった、私の中にあったんだわ

I will carry you here in my heart, you’ll remind me
大切なあなたが教えてくれる

That come what may, I know the way.
どんな困難が私を襲おうと、私には「道」が見えているんだって。

モアナが海に惹かれるのは、海に選ばれたからではありません、モアナ 愛していただけのことです。
モアナが海に選ばれたのは、彼女が特別だからではありません、モアナ 選んでいただけのことです。

蓋を開けてみればなんのことはない、拍子抜けすらしそうな結論。
それは、この物語は、冒険は、すべてモアナが自分の手で選び取ってきたものだったということ。
これから何をするのかは、自分の心にしたがって選べばいいのだということ。
それに気づいたモアナに、もう怖いものはありません。

自分の属性をすべて脱ぎ捨て、ただの少女となった彼女は、世界に向けて高らかに宣言します。

I am Moana!
わたしは、モアナだ!

エンディング

自信を取り戻したモアナは、単身テ・カァに挑みますが、そこにマウイが助けに入ります。
おそらく、マウイは鷹に変身して飛び去ったあと、やっぱり心配してモアナを遠目に見ていたのでしょう。ツンデレですね。

すべてを失ったにもかかわらず、たったひとり突き進む彼女の姿に、マウイも悟ったのでしょう。 釣り針があってもなくても、自分らしく、自信を持って生きていくことができるんだと。
マウイの決意が何につながるか、それはみなさんが映画でご覧になったとおりです。

テ・カァの正体は、胸の心を失い怒り狂っていたテ・フィティでした。彼女も、大切なものを失い自分を見失ってしまっていたのです。
そういえば、誰かが「海があれだけ動けるなら自分で心を返しに行けばいいじゃないか」といちゃもんを入れていましたが、流動する溶岩に石ころクリーンヒットさせるの無理じゃね?という疑問はおいておいて、 テ・カァを説得し、彼女の心を鎮められる人でないと、心を戻すことはできなかったわけです。
そして、それができるのは、wayfindingを学び、「生き方は自分で選ぶことができるんだ」と確信したモアナしかいないというわけです。

このいちゃもんつけたの誰だったっけ?と考えて思い出しました、マウイです。そういえば、テ・カァ戦直前にも、マウイ自身別の答えにたどり着いています。
マウイが語って曰く、「海が島々を、人々を繫いでおり、海もそれを喜んでいた。だから、人々にそれを再開させたかったのではないか」。しかし人類はおそらく長きに渡って航海をやめてしまっており、航海術を失ってしまっているため、誰かに航海術を学ばせ、広めてもらう必要がありました。
海を深く愛している人間なら、航海術を喜んで学ぼうとするでしょう。そしてそのために選ばれたのが、モアナだったのではないでしょうか12

いずれにせよ、モアナが航海術=wayfindingを身につけることは、心を返すために必要な手段であると同時に、海にとっては目的でもあったわけです。

あと、「海がモアナを助けるときと助けないときがあって、ご都合主義を感じた」という意見も見ました。
が、これもよく観察すると「モアナが海を頼っているとき」は助けず、「モアナが自分自身で問題を解決しようとしているとき」は助けている、という共通点があります。彼女の自立心を育てるためのスパルタ教育だったと考えると合点がいきますね(ちょっと無理があるか?)。

本編に戻ります。無事心を返したところで、モアナはマウイを村に誘いますが、彼は断ります。世界を救った英雄となったのだから、以前の彼なら真っ先に人々に自慢に行っていたと思われますが、この旅で彼の心境にも変化があったのでしょう。
ひとりで生きてゆくことを選んだ彼が、人生に楽しみを見つけられるといいですね。

モアナも島に戻り、村人を導いて再び航海の旅に出ます。
しかし、世界の滅亡はすでにモアナの活躍で回避され、実り豊かなモトゥヌイを離れる必要性はなくなっているのに、なぜ村人たちは海への航海に出たのでしょうか。
特に、父親のトゥイは、村が危機に瀕しているときですら海に出ることを固く禁じていたほど、海を強く恐れています。モアナには外洋から生きて帰ってきたという実績があるとはいえ、どうして彼の恐れを取り除くことができたのでしょうか。

モアナが沖で漁をすることを提案するたび、トゥイはそれを強く拒絶しています。村人のためと口では言いながらも、自分の欲求を隠しきれないモアナに、将来の村長としての危うさを感じていたのもあるのでしょう。

Instead of endangering our people so you can run right back to the water!
お前が海に行きたいからって村人を危険に晒すことは許さん!

しかし、旅を通じてモアナは成長しました。自分のルーツを知り、進むべき道を見極める術を学び、目標とする場所にたどり着くまで諦めない忍耐力13を身につけました。
トゥイがどのようにして説得されたのかは詳しく描かれてはいませんが、大きく成長したモアナが彼に与えた影響は大きかったことでしょう。

アナ雪と「モアナ」の違い2

というわけで「モアナ」について思うことを書いてみました。

アナ雪のようにメガヒットはしなかったものの、僕はこの映画が大好きです。迫力満点のアクション映画としても、美しいCGに彩られたミュージカルとしても見ることができる一方、よく観察すれば、 自分の本当に進みたい道を選ぶことの難しさと歓び を描いた映画としても見ることができるからです。

エルサが歌うアナ雪の主題歌"Let It Go"と、「モアナ」の主題歌"How Far I’ll Go"をとりあげて、「最近のディズニーは 女の子が自由になる曲ばっかだね 」とからかわれ14たりしていますが、同じ自由でもその性質は全く異なります。

エルサのそれは、責務と重圧から逃げだし、誰も傷つけないですむ孤独に引きこもることで、すべてを失う代わりに得る破滅的な自由15
それに比べて、モアナの得た自由は、これからも続いていく日々を、村人たちとともに生きていくという、地に足のついた自由です。

これからも、彼女を多くの困難が襲うのでしょう。そして、この映画で描かれたように、崩れ落ちることもあるかもしれません。
しかしそんなときでも、彼女は、自分を見つめ、自分の本当に進みたい道を見つけて、這いつくばってでも進んでいくのです。

皮肉なことですが、自由は私達を大いに悩ませます。どの道を進むべきか悩む日もあれば、選んだ道を後悔する日もあります。
しかし、それら苦しみにさらされてなお、顔を上げ、歩み続ける人の姿は、なんとも眩しいではありませんか。

あとがき

あ、最後に、「モアナ」で僕が唯一16気に入らないところを。邦題です。
近年のディズニー・ピクサー映画は、ダブルミーニング・トリプルミーニングのかかったごく短いタイトルのものが多いです17
しかし、それらが日本で公開されるときは、ジブリ風の「説明調の」タイトルになっていることが多く、 「と」と「の」が高頻度で入ります

いやまあそれ自体はいいんですよ。「アナと雪の女王」とかすごく素敵だし。
ただ、「モアナと伝説の海」ってさあ……。海、別に伝説じゃないじゃん……。むしろ伝説になったのはマウイとモアナでしょ……。

それに、“Moana"というタイトルもちゃんと考えられているんですよ。「モアナ」は、ポリネシア諸語で「大洋」を意味します。つまり、この物語は、モアナが 海で 道を見つける話であると同時に、 モアナの 生きる道を見つける話であるということがタイトルですでに示されているわけです。これも大きな意味での伏線じゃないでしょうか。

というわけで、そのへんの違和感に対するささやかな抵抗として、この記事ではタイトルを「モアナと伝説の海」ではなく「モアナ」で統一しています。オタクなので。

書き終わって字数を数えたら1万字を超えてて割とビビっています。ここまで読んでくださった人はすごく忍耐力がありますね18

この記事を読んで、モアナをもう一回みたいなあと思ってくれる人がいれば嬉しいです。 ありがとうございました。


  1. 例外として、シュガーラッシュ・オンライン(Ralph Breaks The Internet)は公開されたときカナダに留学していたため、日本に帰ってからにしようと見送りました。結局帰りの飛行機内で我慢できなくなって(字幕なしで)見てしまったのですが。 ↩︎

  2. 「モアナ」の魅力が詰まったメイキング本"The Art of Moana"は必読です。京都大学の人は(僕が猛プッシュしたおかげで)吉田南図書館に所蔵されているのでぜひ読みましょう。 ↩︎

  3. 本国アメリカではどちらも2016年公開 ↩︎

  4. 『ズートピア』におけるハードコア反復/伏線芸のすべてより。挑発的なタイトルに反して非常に良い記事なのでぜひ読んでほしいです ↩︎

  5. 少なくとも、僕が初見で気づいた「物語の核に関わる伏線」といえばタラ(おばあちゃん)のタトゥーぐらいでした。あとはまぁ、テ・カァ(溶岩の怪物)の正体とかでしょうけど、これは伏線というより叙述トリックに近いですね。 ↩︎

  6. 日本語より英語のほうが音素の数が多いこととか、日本語ではほぼ必ず母音が子音のあとに続くことが原因なのだろうか。参考:英語と日本語の音素の種類と数 ↩︎

  7. この記事が詳しい:日本版主題歌が世界中から大絶賛!『アナと雪の女王』翻訳家が明かす訳詞の苦労 ↩︎

  8. “Love is putting someone else’s needs before yours(愛っていうのはね、他人のことを自分より優先することなんだ)” ↩︎

  9. 特に、“I Am Moana"で、“Where You Are"のタラのメロディーとか、“We Know The Way"が引用されているところは、芸の細かさに舌を巻く。モアナの中の先人たちの血が音楽的にも表れている、なんとも美しいシーン。 ↩︎

  10. 一歩間違えばお父さんの二の舞でした。せめてもう一人連れて行くとかすればいいものを。 ↩︎

  11. このマウイの一面を強調したキャラクターがタマトアだと言えるでしょう。彼は惨めなカニだった過去と決別するために、マウイのタトゥーを参考に全身をキラキラに飾っています。内面を磨くことなど意味がないと割り切り、外面を飾り立て、美しくなることだけが幸せになる方法だと信じ切っています。タマトアはマウイが変身できなかったときに、マウイの過去を示唆しながらからかいます:“Little Maui’s having trouble with his look”「小さなマウイちゃんは外見でお困りのようだ」 ↩︎

  12. 実際、海は旅に出たモアナを真っ先にマウイのいる孤島に送り届けていますし、マウイが「お前と一緒に旅をするのはお断りだ」といって筏から降りようとしたときにもそれを止めています。よく考えるとマウイは心を返す旅にまったく必要ないのですが(テ・カァは別に障害ではないので)、これらすべて、モアナとマウイに一緒に旅をさせ、航海術を広めさせるための行動だったと考えると合点がいきます。 ↩︎

  13. モアナが初めて航海に出たときや、タマトアのねぐらにつく直前、居眠りをして遭難しかけますが、映画の後半ではそのようなシーンは描かれなくなります。 ↩︎

  14. ここでは反論してますが、honest trailerは大好きです。どれも爆笑できるので英語がわかる人には見てほしいし、少し前のやつなら字幕をつけたやつがニコニコにあがってるのでそちらもおすすめ。 ↩︎

  15. 最終的にこの「みんな(特にアナ)を傷つけないですむ」というエルサの小さな願いすら、雪の女王になることでは叶えられませんでした。「孤独」とか「不理解」とか、西洋社会のイデオロギー的に仕方ないことではありますがディズニー映画では否定されがちですよね。日本で子供向けにレリゴーがPRされてたのはその辺へのアンチテーゼだったりするのでしょうか?多分違いますが ↩︎

  16. 唯一というと嘘かもです。細かいところを言えば何個かあります。なんでわざわざあのカニをタマトアって名前にしたの?とか ↩︎

  17. 有名な話なので詳しく知りたい人はググったらいいと思いますが、例えばFrozen, Tangled, Up, Brave, Cocoあたりでしょうか。知らないものはありますか? ↩︎

  18. いつかズートピアについても語りたいですが、絶対にこれを越える分量になるのでもはや誰も読まない記事になる気がしますね。 ↩︎

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